プログラミング的思考は、文科省がこのように定義しています。
『自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つひとつの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組み合わせをどのように改善していけば、より、意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力』
コンピュータを動作させるための手順の例として、このように考えていきます。 小学校プログラミング教育の手引を引用すると
『① コンピュータにどのような動きをさせたいのかという自らの意図を明確にする
↓
② コンピュータにどのような動きをどのような順序でさせればよいのかを考える
↓
③ 一つ一つの動きを対応する命令(記号)に置き換える
↓
④ これらの命令(記号)をどのように組み合わせれば自分が考える動作を 実現できるかを考える
↓
⑤ その命令(記号)の組合せをどのように改善すれば自分が考える動作 により近づいていくのかを試行錯誤しながら考える』
Figure : 小学校プログラミング教育の手引より引用
学校教育においてのプログラミング的思考は、横断的に作られていて、国語でも、社会でも、数学でも、役立つ基礎的なものとして、捉えられています。
例えば、社会で、身近な歴史上の人物を調べ、発表するという課題であれば、
検索をして、Aという情報、Bという情報…いくつか調べていき、どれが必要なのか、最後組み合わせて、まとめ、発表をします。
ビジネスに置き換えると、新人バイトに手取り足取り教えたいけれど、あまり時間がないという問題が起きたとします。
教育や育成には、いくつか方法があります。直接教える方法や講義スタイルなど。
ただ、毎月のようにバイトの方が入ってきた場合に、毎回一から全てを指導するのは大変です。
そこで、マニュアルが活躍します。「マニュアルを読んでおいてね」で指導時間を短縮することができます。
これも、一種のプログラミング的思考になります。
注書きとして、プログラミングの指導に関して、このように、書かれています。文科省 2022では『プログラミング教育を通じて、おのずとプログラミング言語を覚えたり、プログラミングの技能を習得したりすることは考えられるが、それ自体を、ねらいとしない。』と書いてあります。
プログラミングをすること自体が大事なのではありません。問題解決をするための、道具でしかありません。プログラミングがどれだけ書けても、問題解決のためのツールとして、使うことができないと意味がありません。
数学であったり、迷路であったり、木登りであったり、プログラミング的思考を身につける事ができる場所はたくさんあります。
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